その①「生きるちから」
生きていく上で必要なちから…
それは、時代や文化・価値観によって、大きく異なります。
強靭な身体や社会的地位が重要視されたり、信仰心や忠誠心が生きる糧だったり。
戦争と平和という正反対の社会状況下では、「ちから」の意味自体が違ってくる。
残念ながら過去には、個人のちからなど無いに等しい時代もあり、また現在でも、
非常に厳しい社会環境に置かれ、無力さに打ちひしがれている方々もおられます。
だからこそ、平和と言われる今の日本においての「未来を生きるちから」、
それについて、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
もう少々、堅苦しいお話にお付き合いください。
現代社会がグローバル化とIT化で激変していることは、誰もが実感していることですが、
日本がIT後進国であることは、実はそんなに知られていないかもしれません。
特に日本のIT教育は、先進国の中では遅れており、その結果、IT人材不足も深刻です。
またIT教育の遅れは、経済界だけでなく、教育現場での効率化も遅らせています。
これは、教える教師にとっても教わる子どもたちにとっても、残念な状況です。
それに加え、子どもたちからITリテラシーを学ぶ機会もうばうことになっています。
リテラシーとは、それを理解し適切な活用法を学び、危険を避ける能力のこと。
それを学ばずにPCやスマホ、ネットを利用するのは、非効率で、かつ、とても危険です。
ITリテラシーは、子どもたちがネット犯罪等に巻き込まれないためにも必須の学びですが、
先行する日常でのIT利用に、日本の学校教育はなかなか追いつけないのが現状です。
IT教育で得られる「効率的な学習」と「ITの技術とリテラシー」を提供する場にしたい。
同時に、「しっかりと考え、自分で決め、実行できる」ちからを子どもたちにつけてほしい。
“まならぼ”が目指すこれらがどうつながるのか、それについては次回以降とします。
硬いお話はここまでですよ(笑)。